カンボジアで選挙ボランティア活動中に銃弾に倒れた青年



1993年に国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が実施した1993年カンボジア総選挙の選挙監視員として活動していた一人の若者が殺害された。

彼の名は、中田 厚仁(なかた あつひと)。

1977年、アウシュヴィッツ強制収容所を訪れたことをきっかけに平和に関心を抱き、国際連合で働くことを希望するようになった。

1987年4月に大阪大学法学部に入学し、国際法を専攻。

大学卒業後の1992年5月、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が1993年5月にカンボジアで実施予定の総選挙を支援するボランティア(国際連合ボランティア(UNV))に採用され、7月にカンボジアへ渡った。

中田はクメール・ルージュとカンボジア政府との衝突が激しい地域への赴任を自ら望み、9月からコンポントム州プラサットサンボ郡の郡選挙監視員(DES)として赴任した。

中田は郡内の村を回り選挙に関する説明や選挙人登録など、選挙実施に向けた活動を行った。

1993年4月8日、中田はプラサットサンボ郡を自動車で移動中、フィル・クレル村の域内で何者かによって拘束・射殺された。

救援を要請した無線での最後の言葉は「I’m dying(私はもうすぐ死ぬ)」であったと伝えられている。

1995年、中田が殺害された現場一帯が開発され、周辺の7つの村を併合した新たな村が建設されることになった。

村人の多くは中田のことを記憶しており、協議の結果村名は「ナカタアツヒト村」に決まった。

これを受けてカンボジア政府は村名を「ナカタアツヒト・コミューン」と公式に定め、同時に中田をコンポントム州の最高名誉州民とした。

1998年には中田の父武仁が日本で集めた募金をもとに村に小学校が建設され、「ナカタアツヒト小学校」と名付けられた。

小学校の敷地内には中田の名前の頭文字Aを模ったモニュメントが設置されている。

さらに村では中田の功績を讃える歌が作られた。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする