母が握りしめていたタクシー代
俺は母子家庭で育った。
当然ものすごく貧乏で、それが嫌で嫌で仕方がなかった。
だから俺はバカなりに一生懸命勉強して、隣の県の大きな町の専門学校に入ることができた。
そして俺は貧乏な母子家庭のくせに、 ...
父が母に送った保護メール
俺は今高3なんだけど、10月26日に父親が死んだ。
凄く尊敬できる素晴らしい父親だった。
だから死んだ時は母親も妹も泣きじゃくってた。
それから2ヶ月くらいたった最近は、まだ元の生活には戻れてないけど多少は ...
母の愛に感謝する話
彼は幼い頃に母親を亡くし、
父親と祖母と暮らしていました。
彼が17歳の時に、急性骨髄性白血病にかかってしまい、
本人すら死を覚悟していましたが、
骨髄移植のドナーが運良く見つかり、死のふちから生還 ...
メール
私が中3になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。
当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なんだろうか、お金は大丈夫なんだろうかとかそんなことしか考えていませんでした。
義母
俺を生んでくれた母親は俺が2歳の頃に死んだ。後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。
俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。
ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって連れてき ...
母子手帳
今年の6月に母が亡くなった。火事だった。同居していた父親は外出していて、弟は無事に逃げる事が出来たのだけど、母親は煙に巻かれて既に駄目だった。
自分は違う地方に住んでいたのだが、電話で聞いた時にはどうする事もできず、ただひ ...
オレオレ詐欺
ある日、叔母さんのうちに一本の電話がかかってきた。
「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、
被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振 り込んでいただ ...
お母ちゃんのシワ
今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ ...
僕を支えた母の言葉
僕が3歳のとき父が亡くなり、その後は母が女手ひとつで僕を育ててくれた。
仕事から帰ってきた母は、疲れた顔も見せずに晩ごはんをつくり晩ごはんを食べた後は内職をした。
毎晩遅くまでやっていた。
後悔の念が見せた夢
子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できている程度の生活だ。
学校の集金のたびに
母親がため息をついていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかった ...
田舎の母ちゃん
田舎者で世間知らずで畑仕事のせいでいつも土の匂いがして、
笑顔を絶やさなかったよな母さんは。
肝炎になり、もって4.5年と言われてから親父に中国に連れって行って貰った時に 、
夜、国際電話を掛けて来て「電話 ...
家内を事故で亡くした
家内を亡くしました。お腹に第二子を宿した彼女が乗ったタクシーは、病院に向かう途中に居眠り運転のトラックと激突。即死のようでした。
警察から連絡が来たときはひどい冗談だと思いました。
いつものように今朝も笑顔で送ってくれ ...
ママの死
この間1歳半の息子を連れて、友人の家に行った時に友人の祖母に聞いた話です。
友人がちょうど1歳半の時、お母さんが癌になったそうです。
気付いた時はもう手遅れで、1月もたずに亡くなってしまいました。
友人は冷 ...
テーブルのお皿
私と淳子は、結婚して社宅で暮らし始めました。
台所には四人がやっと座れる小さなテーブルを置き、そこにピカピカの二枚のお皿が並びます。
新しい生活が始まることを感じました。
風変わりなアピール
風変わりなアピール
30歳になる少し前に離婚した。
その一年半後に現在の妻を紹介された。
高校を出て7年間、妻は俺の祖母の兄が営む田舎町の店舗に勤めていた。