干潟のごみ拾いをした新聞配達員が政治家になった話



現在の谷津干潟は、野鳥の楽園・国設鳥獣保護区として、またラムサール条約登録湿地として習志野市のシンボルともなっています。

しかし、かつてそこは、埋め立てを前提に半ば公然とゴミが投げ捨てられ、ヘドロと悪臭にまみれた、習志野市の恥部とまで言われた場所だったのです。

森田三郎さん、通称「どろんこざぶう」は29歳の冬1974年から新聞配達の合間をぬって、市川市からバイクでゴミ拾いを始めました。

生まれ育った干潟の惨状を見かねたサブウは、仕事の合間に、ひとりゴミ拾いを始めた。

ゴミといってもビンやカンといった小物だけではなく、産業廃棄物のような大物もあったという。

雨の日も風の日も、サブウは腰まで泥につかりながら干潟のゴミ拾いを何年も続けた。

悪臭に悩まされ、早期埋め立てを望んでいた地元住民の中には、彼をよそ者呼ばわりし、目の前でゴミを捨てて行く者までいます。

そして行政には干潟のゴミの引き取りを拒否される。

そんな状況のなか、たった一人で谷津干潟愛護研究会を設立し、雨の日も雪の日もゴミ拾いを続け、数年が過ぎようとしていた頃でした。

彼の情熱に心をうごかされた地元の主婦が、ついに三郎にゴミ拾いの手伝いを申し出ました。

初めは、くさいだけの干潟など早く埋め立ててしまえ、と言っていた人々も、徐々に協力してくれるようになりました。

それから徐々に支援者の輪が広がり始め、多くの市民が参加しての谷津干潟クリ-ン作戦の開催、主婦を中心とした谷津干潟環境美化委員会の設立、森田三郎の支援者・ゴミ拾いの仲間達による谷津干潟友の会のPR活動などをとおして干潟保存の気運が高まり、ついに市による埋め立ての方針が撤回されるに至ったのです。

その後、森田三郎さんは、習志野市議会議員を経て千葉県議会議員になりました。
 
ここまでの話は、「どろんこざぶう」という児童書で紹介されています。