悲運の天才プログラマー



2013年7月6日、心筋梗塞で一人のソフトウェア開発者が孤独死した。

Winnyの開発者で天才プログラマーと呼ばれた金子勇。

42歳という若さだった。

あまりにも早い死に著名人からも悲しみの声が多く発せられた。

1970年栃木県に生まれた。

子供のころからプログラム技術に興味を持ち、高校在学中に第一種情報処理技術者試験に合格。

1989年に茨城大学工学部情報工学科に入学。同大学院修士課程を経て、博士課程を修了し博士(工学)を取得する。

卒業後、博士研究員として日本原子力研究所に勤務し、地球シミュレータの研究開発に従事。

2002年1月、東京大学大学院情報理工学系研究科の特任助手として採用される。

同じころ、2chで通信の仕組みにPeer to Peerを用いたファイル共有ソフト「Winny」を公開する。

同じファイル共有ソフトであるWinMXを利用した公衆送信権(送信可能化権)の侵害が横行し、著作権法違反で逮捕者も続出していた中で、匿名性が強化されたWinnyへ移行する利用者が後を絶たず、2003年11月にはWinnyを利用して著作物を送信した人物が逮捕された。

2004年5月10日、金子は著作権法違反幇助の疑いにより京都府警察に逮捕、5月31日に起訴された。

2006年12月13日、京都地方裁判所において罰金150万円(求刑懲役1年)の有罪判決が言い渡されたが、2009年10月8日に大阪高裁での控訴審判決にて逆転無罪判決となった。

2011年12月20日 最高裁で上告を棄却、無罪が確定した。

2012年、無罪となった金子は、東京大学情報基盤センタースーパーコンピューティング研究部門特任講師に採用された。

Winnyについて、本来ネットワークは自身の専門分野でなく、原子力研究所においてコンピュータ・クラスターや分散コンピューティングに関わったことが開発のきっかけであると著書で述べている。

天才プログラマーと言われて多くのIT技術者から賞賛された金子勇は、生涯結婚することもなく、東京大学教員ながら非常勤の職で生涯を終えた。
日本のインターネットを切り拓いた第一人者である村井純は、「金子さんの遺志が健全に羽ばたける世に治すことを硬い約束としたい」と金子の死を悼んだ。