早世した若き天才数学者



2013年、一人の若き天才数学者が31歳という若さでこの世を去った。彼の名は、長尾健太郎。

人は彼のことを「神童」とも「天才」とも「未来を嘱望された若手数学者」とも形容する。ただ一環しているのは、彼の頭脳力と、それに劣らない人格に対する尊敬と敬愛だった。

数学の天才として語られる長尾健太郎氏は、深く鋭く優しく熱く、世の中を語り、人間を語り、美しい言葉を紡ぎあげる青年だった。

長尾健太郎氏は、東大に多くの進学者を輩出している開成高校時代、国際数学オリンピックで3年連続金メダルを獲得した。

開成高校卒業後、東京大学理科I類に進学し、囲碁の国際大会の日本代表として活躍。

京都大学大学院に進学し、表現論と幾何学を研究して、博士号を取得。日本数学界の期待の星となった。

英国オックスフォード大学に留学後に、名古屋大学大学院多元数理学研究科の教員として教壇に立った。

しかし、そのころ、すでに胞巣状軟部肉腫という筋肉の癌に蝕まばれた状態にあり、壮絶な闘病生活を送っていた。

15歳で発症した胞巣状軟部肉腫は25歳を過ぎてから肺に転移するなど進行が早まっていた。

2010年には、妻との間に待望の子供を授かり、彼は弱音を吐かず、子供の成長を生きる希望にしていた。

しかし、日本数学会から名誉ある「建部賢弘賞」を受賞する。だが、愛媛県で行われた受賞式が3歳の息子に見せた「かっこいい父親」の最後の雄姿となった。

彼の死後、全国の小中学生が算数や数学の思考力を競う「算数オリンピック」に新たな特別賞「長尾賞」が新設された。