公道で事故死した世界的オートバイレーサー



一人の世界的オートバイレーサーが公道での交通事故で死亡した。

ニックネームはノリック、本名、阿部典史。

1993年に最高峰クラスの500ccクラスにおいて、史上最年少の18歳でチャンピオン、そして500ccクラス最後のチャンピオンとなった。

1994年にはロードレース世界選手権(WGP)日本GPでケビン・シュワンツ、マイケル・ドゥーハン等と苛烈なトップ争いを繰り広げながらも残り3周で転倒リタイアしてしまうという、センセーショナルなデビューを飾る。

1995年よりWGPフル参戦。1996年の世界GP第3戦日本GP(鈴鹿)では、1982年のスウェーデンGPでの片山敬済以来の日本人ライダーによる500ccクラスの優勝を飾る。

2005年よりスーパーバイク世界選手権に参戦の場を移す。

2007年より13年ぶりに全日本ロードレース選手権(JSB1000クラス)に復帰を果たし、当期6戦を終え総合3位。

自身のオフィシャルサイトでは10月20日に鈴鹿で行われるレースへの意気込みも記されていた。

2007年10月7日午後6時20分頃、神奈川県川崎市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右側車線を500ccスクーター型バイク(黒いヤマハ・TMAX)で北上中、左側車線から突然Uターンしてきたコンビニエンスストア配送用の4トントラックに衝突し、午後8時50分過ぎ、搬送先の病院にて32歳で死去。

現場はUターン禁止区域だったため、このトラック運転手は起訴され、禁固1年4ヶ月(執行猶予3年)の判決を受けた。

普段、公道では二輪に乗らなかったノリックが、たまたま納車されたばかりのT-MAXを走らせていたのは、不運だったとしかいいようがない。