王貞治に憧れた台湾出身の長距離バッター



2015年1月18日、51歳で一人の元プロ野球選手が亡くなった。

彼の名は、大豊泰昭(たいほうやすあき)、本名、陳 大豊(チェン・ダーフォン:Chen Ta-Feng)。

中華民国(台湾出身)の元野球選手。

華興中學では台湾大会で優勝し、華興高では世界大会で優勝。

王貞治に憧れて日本行きを希望するが、20歳にならないと出国できないため、卒業後に2年間母校でコーチを務めた。

1984年に名古屋商科大学へ入学。

愛知大学野球リーグ通算96試合出場、343打数120安打、打率.350、24本塁打、94打点。敢闘賞2回、ベストナイン4回受賞。

通算24本塁打はリーグ記録である。

全日本代表にも2回選出された。

卒業後は、日本人選手扱いとして日本プロ野球(NPB)入りするため、中日ドラゴンズの球団職員として1年間在籍し、1899年ドラフト2位で中日と選手契約。

王貞治の持つNPBシーズン最多本塁打記録55本を目標として背番号を55とした。

1996年下位打線に打順を置かれたが、それに奮起し開幕から驚異的なペースで本塁打を量産。最終的に巨人の松井秀喜と同じ38本塁打を放つも、チームメイトで同じく下位打線でチームを引っ張った山崎武司に1本及ばず、松井とともに本塁打王を逃した。

2000年に250本塁打、通算1000安打を達成した。

2004年10月、名古屋市中区に中華料理店「大豊飯店」を開業。

2009年3月、急性骨髄性白血病を患い入院。

2011年5月に移転開業した「大豊ちゃん」でも自ら店頭に立ち、屋外で名物の棒餃子を焼く姿が見られた。

2015年1月18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市の病院で死去。51歳没。

2019年11月15日、生前の本人の遺志に基づいて、千葉県銚子沖に散骨された。

「大豊ちゃん」は大豊亡き後も店舗運営を続けたが、2015年6月5日を以って閉店した。