伝説のボディビルダー



2000年8月3日、一人のボディビルダーが39歳という若さでこの世を去った。

彼の名は、マッスル北村、本名、北村克己。

アジア人としては規格外のバルク(bulk, 筋肉の質感・量感)と怪力を誇った、知る人ぞ知る伝説のボディビルダー。

浪人時代から、予備校の休み時間に学校を抜け出して懸垂を行ったり、トタン板を丸めて作った手製のリストウェイトを付けるなどの独自の筋力トレーニングをしていた。

高校卒業後に二浪して東京大学に入学し、本格的にボディビルを始める。

ボディビルへの熱情のために、大学の授業には全く出席せず、最終的に東京大学を中退している。

北村は、二浪して東京大学に入学・中退を経た21歳の段階で、医学部への受験を決意した。

東京医科歯科大学医学部に入学する。

父親との関係を修復するためだった。

しかし、入学した東京医科歯科大学も中退。

1985年ボディビルのアジア選手権でライトヘビー級のタイトルを手にする。

1986年7月20日 「ジャパン チャンピオンシップス」において、日本人最高のバルクとして謳われた石井直方を破り、優勝。

かねてから憧れであった「ミスターユニバース」の切符を手にする。

国内でのコンテストビルダーとしての道を閉ざされた北村は、自らの次のステージを切り開く為に芸能界へ足を踏み入れた。TV出演やセミナー、後に海外コンテストなどにも活躍の場を求めていくようになる。

2000年8月3日、ボディビルの世界選手権に参加するべく、脂肪を極限まで落とすために20kgの急な減量を行った結果、異常な低血糖状態となり、急性心不全を引き起こし死亡した。39歳没。

亡くなる数日前にも北村は倒れて救急車で運ばれており、この時は処置が間に合い、一命を取り留めていた。

北村の身を心配した実妹が「めまいがしたら飴を舐めて。飴一個でいいから」と懇願するも「僕は、そんなわずかなカロリーすら摂取したくないんだ」と断る徹底ぶりであったという。

精神力が肉体の限界に勝った結果だった。

東京学芸大学教育学部附属高等学校卒業、東京大学理科II類中退、東京医科歯科大学医学部中退という彼の学力は、努力によって手に入れたと言われている。

実妹の日記によると、「兄は天才というわけではなく、僕には時間がないと言うのが口癖で、常軌を逸した超絶努力で東大に合格した、努力の人なんです」とのこと。

勉強においても、ボディビルにおいても努力の人だった彼は、気さくな人柄で誰からも尊敬されるされる人物だった。