ボスニア・ヘルツェゴビナは、多民族国家だった旧ユーゴスラビアの中でも、とりわけ複雑な民族構成をしていた国でした。
1992年4月に内戦が勃発した当時、イスラム教徒勢力が人口の約45%、セルビア人が約30%、クロアチア人が約20%を占めていました。
内戦以前は、信仰する宗教は違いますが、同じセルボ・クロアチア語を語すこともあり、3者はお互いの慣習を認めつつ、混住・共存してきた時代もありました。
若いころから美人でもてもてのアドミラ。
でも恋愛に興味はありませんでした。
そんなアドミラがある友人のパーティで全くさえない男の子ボシュコに出会います。
あまりにも他の男と違う真面目なボシュコに惹かれて行くアドミラ。
2人は互いに違う民族同士でしたがその事に対する障害は、当時はまだ大きくありませんでした。
4年の交際を経て、2人は結婚する約束をします。
しかしボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が始まると互いが会うことすら困難になっていきます。
サラエボは包囲され、丘にはスナイパーが居て市民の射殺を繰り返し、誰かを殺すたびに兵士は賞金を貰っていました。
ボシュコの家族はサラエボを脱出し、亡命。
ボシュコはアドミラの居るサラエボに残りました。
2人は命懸けで会い、ボシュコは出会った時に約束したようにアドミラを守ろうと決意します。
隠れ家ではあったけれど2人で居られる幸せ。
でもそんな2人の幸せも長くは続きませんでした。
ボシュコが、モスリム人居住区に居るのがばれてスパイ容疑がかかりました。
1993年5月、2人はサラエボを脱出するためにに外へ出ました。
危険地帯に入った時、ボシュコが撃たれます。
ボシュコは即死でした。
ボシュコはアドミラに話していました。
「もしも僕が撃たれても近づいてはいけない。君は引き返して家族の元へ帰るんだ」と。
アドミラはボシュコが撃たれるのを見てやはり駆け寄らずにはいられませんでした。
そして、また銃声、アドミラも撃たれて倒れます。
アドミラは消えゆく意識のなかでボシュコの元へ這っていきました。
そしてボシュコの遺体にたどり着いた時そのまま息絶えました。
腕を組んで逝った2人は、そのまま放置されました。
遺体を収容しようとすれば、撃たれるからです。
1週間後、2人の遺体が特攻隊によって収容されたとセルビア陣営が発表。
葬儀が行なわれました。
セルビア軍は自分達の人道性をアピールするためにこの事件を政治的に利用しようと試みましたが、
アドミラの親は、それを拒否するために娘の葬儀に参加できませんでした。
「サラエボのロミオとジュリエット」と呼ばれた二人。
ロイター通信が世界中に伝え、二人の死を悼みました。
1995年、紛争が終結しました。
きっと彼らは天国で結ばれたはずです。