父の視線
俺の父は、俺が6歳の時に死んでしまった。
ガンだった。
確か年齢は34歳で亡くなったと思う。
今思えばかなりの早死にだった。
あっけなく死んでしまったこともあるが、自分がまだ6歳と幼かったこともあり、父の記憶はあまりなかった。
だから父のイメージは、俺の中ではあまり良いものではなかった。
どちらかといえば怖いという印象しかなかった。
父の記憶といえば、ひとつだけ鮮明に残っているものがあった。
それはラーメン屋の中での思い出だった。
これも詳しくは覚えていないが、父はラーメンの大盛りを一つだけ頼み、取り分け皿を枚もらいそこに俺の分のラーメンを入れてくれた。
多分、当時5歳くらいだった俺にとって取り分け皿の分量のラーメンでも結構な量だったのだろう。
食べるのに時間がかかった。
一生懸命食ったとは思うが、やはりそれなりの時間がかかってしまったと思う。
ふと見ると、父が俺のことを見ていた。
じっと見つめていた。
怖い顔をしてにらんでいたような記憶がある。
「早く食え」と急かされているようで、嫌で怖い思い出だった。
ちらちら父の視線を盗み見たが、父はいつまでたっても俺をにらんでいた。
「なんでそんなに俺のことにらむんや…」と思ったが、父の表情が何となく怖くて、再びラーメンに目を落とすと必死で食った。
それが数少ない父の記憶だった。
そんな俺も母に女手一つで育てられ、30になったころ結婚もした。
そして男の子を授かった。
とてもかわいく、目の中に入れても痛くないとはこのことかと初めて知った。
そして息子も先日幼稚園に入る歳になった。
だが、仕事が忙しいこともあり満足に遊べてやっていない。
だから先週、日頃の罪滅ぼしにと息子を連れて2人で出かけた。
そして昼飯時になり腹が減ったので何が食いたいかと尋ねたら、息子は「スパゲティが食べたい」と言った。
息子はまだ食が細いのでスパゲッティの大盛りを頼み2人でシェアして食べた。
息子は一生懸命食べていた。
先に食べ終えた俺は、頑張って食べている息子がとてもいとおしくずっと眺めていた。
そんな俺の視線に気づいたのか、息子はちらちらと俺の方を見ていた。
俺も多少気恥ずかしくもあり、仏頂面で見てみぬふりをしつつ、また息子が食べる姿を見ていた。
仕事が忙しく、普段あまり会話もない俺と息子だが、だからこそ俺は息子がとても愛おしく思えた。
気が付けば、いつまでも見つめていたいと感じていた。
あの時の親父の視線の意味が、今になってようやく理解できた。
父さん、ありがとう。