幻のドバイワールドカップ



アメリカ合衆国で生産され、 日本で調教された外国産馬のクロフネ。

2001年春にNHKマイルカップに優勝。

2001年5月27日の日本ダービーに出場するもライバルのジャングルポケットに破れて5着となった。

その後、ダートに転向し、天皇賞前日に行われるGIII・武蔵野ステークスに出走。

レースでは第4コーナーで先頭に立つと、最後の直線では後続を引き離し、前年のNHKマイルカップ優勝馬・イーグルカフェに9馬身差をつけて圧勝した。

走破タイム1分33秒3は、1992年にナリタハヤブサが記録した1分34秒5を1秒2更新するJRAレコードであった。

さらに、2001年11月24日、ダートの国際招待競走・ジャパンカップダートへ出走。

当年はアメリカから一線級の実績馬であるリドパレスが出走したが、クロフネは同馬を抑えオッズ1.7倍の1番人気に支持された。

スタートが切られるとクロフネはやや出遅れたものの、向正面から徐々に進出を開始、前走と同じく最終コーナーで先頭に立ち、直線で独走態勢となって前年度優勝馬ウイングアローに7馬身差をつけての優勝を果たした。

走破タイム2分5秒9は同馬が前年度に記録した2分7秒2を1秒3更新する、2戦連続のJRAレコードであった。

武は「今日のレースに限っていえば、こんなに強い馬は今までにいなかったと思う」と称えた。

この勝利でクロフネはダートでは最速の競走馬となった。

ジャパンカップダートの後は休養に入り、翌年にはダートで行われる世界最高賞金競走・ドバイワールドカップを目標とすることが決定していた。

しかし、12月24日、右前脚に屈腱炎を発症し全治9カ月以上という速報が流れ、26日には競走登録の抹消と種牡馬入りが発表された。

翌年1月、年度表彰・JRA賞が発表され、クロフネは最優秀ダートホースに選出された。

4戦で騎乗した武豊は、2003年に行われたインタビューの中で「今まで乗った馬で『凄さ』を感じたのは、オグリキャップ、サイレンススズカ、そしてクロフネぐらい」、「全く別の次元の競馬をして、能力の高さだけで押し切れる。そんな馬はそうそういない」と述べている。