僕が高校三年生の頃、ちょうど肌寒くなってきた時期でもあり、冬物を着込み始めた頃だったと思います。
高校にバイクで向かっていて、いつもの交差点に来たときのこと。
突然クラクションが鳴り響き、驚いて横を見ると、すぐ近くに大型のワゴン車が迫っていたのです。
その瞬間、スローモーションになったのを今でも覚えています。
「どうしよう、アクセルを開けて急加速すれば避けられるだろうか、ブレーキをかけてとまればぶつからないだろうか?」
考える時間はたくさんありましたが、時間としては一瞬の出来事だったようで、気づいたら体は吹っ飛び、体がフェンスに激突していました。
その時は痛みは感じなかったので、たいしたことないのかな?と思っていました。
すると、周りの人たちが「動かないで!」と騒ぎ始め、気づくと足はズボンの上からでもわかるくらいの大怪我、喉の奥から血の味がして、息が苦しくなって来ました。
その交差点は右斜め前に総合病院があったので、すぐ近くの病院に運ばれました。
どんどん息がしづらくなり、検査したところ、足と肩甲骨、肋骨の骨折の他に、肺が潰れていることがわかりました。
緊急手術をすることになり、手術後はICUに運ばれました。
最初は大したことないと思っていたこともあり、全く自分が死ぬとは思っていなかったのですが実はこの時、僕はかなり危険な状態で、両親は
「助かるどうかはわかりません。命は取り留めたとしても、植物人間になる可能性もあります」
という説明を受けたようです。
ICUは無菌状態になっているため、基本的には面会はできません。
そんな中で僕は過酷な治療に耐えなければいけなくなりました。
肺が潰れて大量に出血していたので、鼻からチューブを入れて5分おきに血を抜く治療をしたのですが、それがとても痛くて、苦しくてたまりませんでした。
でもそれをしないと、呼吸ができなくなり、死んでしまいます。
24時間続く地獄のような治療に僕は心が折れかけていました。
そんな孤独なICUで僕を支えてくれたのは、友達の存在でした。
ICUの病室の扉には、小さな窓がついていて、その窓からたくさんの友達が僕を励ましに来てくれたのです。
もちろん会話をすることはできませんでしたが、友達は筆談や、変顔で僕をたくさん笑わせてくれました。
友達が来てくれている間だけは不思議と、痛みと苦しさを忘れることができました。
入院生活は長かったですが、友達は代わる代わるに毎日来てくれました。
中には何年も会っていなかった懐かしい幼馴染なども来てくれて、辛い入院生活において、窓から顔を出す友達の顔が僕を救ってくれたのです。
後から聞いたのですが、実は僕の両親が僕が死の危険があることを告げられてからたくさんの僕の友達に「もしかしたら最期かもしれないから、会いに来てあげてほしい」と言ってくれて、それで本当に毎日多くの友達がきてくれたそうです。
当時の医療技術ではまず助からないとまで言われた大怪我でしたが、気持ちが負けなかったおかげで、僕は今も生きています。
高三の受験を控えた時期だったのにも関わらず、僕をはげましてくれた友達と、呼びかけてくれた両親には感謝してもしきれません。
周りの人の温かさのおかげで起きた奇跡を、今後もずっと忘れずに生きていきたいです。
ICUで僕を支えてくれたもの