家族の泣ける話

亡くなった妹からの手紙

あれは3年前の冬のことでした。
私は特に妹と仲が良かったわけではないのですが、急に「妹と話したいな」と思い、「最近どう?元気?」とメールをしました。
しかし、そのメールの返事がくることはありませんでした。
妹からの連絡の代わりに来た連絡は妹の自殺を告げる電話だったのです。
亡くなった時刻は、ちょうど私がメールを送った少し後だったそうです。
もしメールではなく電話をしていれば、妹の異変に気付けたのではないか、私は目の前が真っ暗になりました。
妹は長いこと鬱病を患っていました。
心配した母は、毎日仕事終わりに実家に夕飯を食べにくるように言いました。
妹の異変に少しでも気づけるようにと、母なりの気遣いでした。
食事の時には妹は仕事の話をしたり、外行きのメイクをしていたこともあり、母は安心していた部分もあったのですが実は、それは妹が最後の力を振り絞った芝居だったようです。
本当は、妹は鬱病の症状がひどく、仕事に行くことさえできなくなっていました。
しかし、母に心配をさせないように、メイクをして、着替えて、仕事の話まで母にしていたのです。
鬱病の人にとってこれはかなりの負担になるということを、看護師をしていた私には痛いほどわかります。
それだけではありません、妹は自殺の時も車の中で、誰にも迷惑をかけずに亡くなっていました。
助手席には、警察への手紙と、母への手紙があり、警察への手紙には
「ご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません。」という謝罪の他、母や私の連絡先などが書いてあり、警察の方が手を煩わせないように気を使っていたというのです。
警察の方も目に涙を浮かべながら「あんなに死の間際まで気遣いをされる方は珍しいですよ」とおっしゃっていました。
母への手紙は小さな文字でびっしりと感謝の言葉、どうしても、もう生きて行くのが辛いから先に死なせてほしい、といった内容が書かれていました。中でも「私はもう生き切りました。人生から解放されたいのです。」という言葉は今も忘れることができません。
鬱病で辛い状態であったのにも関わらず、ここまで誰かを思いやる妹には言葉が出ませんでした。
そして、住んでいたアパートも空になっており、遺品整理なども済まされ、水道や電気なども解約されていました。
一般的には自殺は絶対にしてはいけないことだと言われています。
しかし、私は妹は「生き切った」と思っています。
自分がどんなに辛くても、身を削ってまで他人を気遣い、思いやる生活から解放され、これでゆっくり休めるね、と直感的に思ってしまたのです。
同時に、なぜ私は妹を少しも思いやってやれなかったのだろう?と思い、生死についての考えを改めるようになりました。
私は妹の死をきっかけに、人への関わりかたを思い直しただけでなく、人から受けた気遣いや思いやりを深く感謝し、その裏にある相手の苦しみなども考えるようになりました。
妹のような優しい人間が疲れ果ててしまう世の中を少しでも変えていけるように、今は自殺防止のボランティアをしています。そこで出会った夫と、3人の子供と今は幸せに暮らしています。私は妹の死を責めたりはしたくありません、それではまた天国の妹が気を遣ってしまうと思うからです。妹に伝えたい言葉はただ一つです。
私の生き方を変えてくれて、夫に会わせてくれて、たくさんの気遣いと思いやりをありがとう。

-家族の泣ける話
-, , ,