家族の泣ける話

うまれてきたこと

私は右手に障害があります。

兄弟が二人いますが、彼らは生まれたときから幼児期の写真がたくさんあるのに私の写真はありませんでした。
両親に理由を聞くと、「カメラが壊れていて撮れなかったの。」と言っていました。

物心ついたときから私は自分の障害について認識をはじめ、他人への劣等感、最終的には自分が生まれてきたことへの恨み、そして両親への恨みへとつながっていきました。

小学校の頃は両親に
「右手は20歳くらいまでには治るかな??」
などと聞いていたりしたのですが、上のようなこともあり、
「何で俺は右手が使えないの?何で俺を生んだの?」
と不躾な、両親からしてみると非常にやりきれない文句をいっていたことを覚えています。

今、私は大学の卒業を控え、両親の私を育ててきた苦悩を多少なりとも知ることができます。

障害をもって生まれてきた私に衝撃を受けて生後しばらく自暴自棄になってしまった母親とそれを立ち直らせるために母親を殴った父親の悲しみ、写真が少ないのもしばらく私に愛情を注ぐことができなかったから、そのような背景があるからなんです。

でも、私の記憶にある両親は私にたくさんの愛情を注いでくれました。
幼い頃、寝るときいつも父に右手を握ってもらって寝てたことは忘れません。
「おまえの手が早く治るように。」この父の願いは叶わない事は今ではわかります。
一生付き合っていかなければならない障害ですが、私がこの世に生を受けてきたこと、両親が頑張って育ててきてくれたこと、絶対恩返しします。

来春から就職。本当に頑張って働いて絶対に親孝行します。
パパ、おかあちゃん、長生きしてください。
乱文失礼しました。

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