極度の引っ込み思案で、講義に出る以外では一切他人と交流しないような、
まあ今で言う「ひきこもり」みたいなダメ大学生だった俺・・・。
でもギターは好きで、バンドやりたかったんだけど人間が怖いし、
そもそも一緒に組んでくれる友達なんて一人もいないのな。
だから自分ひとりで下手糞なりにベースも弾いてドラムは打ち込んで、
「バンド風」の曲を作ってはCDに焼いて自己満足してたんだよ。
その頃ギター以外にハマってた遊びがもう一つあって、
何かって言うと、不動産屋に行って「部屋探してるんです」って嘘吐いて、
車でいくつか部屋を案内してもらうの。・・・今思うとすごく迷惑な奴だな俺。
で、まあ当然最終的には断るんだけど、
向こうは俺のこと客だと思ってるからしきりに営業トークを仕掛けてくるのな。
「あー、○○大学なんですか。何専攻してるんですか?」
「出身はどこなんですか?私は茨城なんですけど」
「将来の夢とかあるんですか。就職活動はしてるんですか?」とかね。
普通こういうのうざいんだけど、俺はこれが大好きだったんだ。
人間嫌いなくせに、寂しがりやだから、こんな会話で孤独を癒してたんだな。
で、ある日車で案内してくれたのが結構若い女の人で、
「趣味とかあるんですか?」って聞くわけ。まあみんな聞くんだけども。
この遊びの間、普段は俺ぜんぜん本当のこと答えてなかったのね。
大学も出身も偽ってたし、趣味も「ビリヤードです」とか言ってw
けどその女の人にピンと来たというか、なんか感じて、
そのときだけ本当の事言ったんだよ、「曲作ったりしてますね」って。
そしたらすっごい食いついてくるわけ。
なんでも彼女も曲作って自分で歌ったりするのが趣味なんだけど、
PCでの録音がよくわからないらしくしきりに説明を求められて、
「今度詳しく教えてください」とか言われてメアドの交換までしてしまった。
でもまあ俺のほうは陰湿な遊びとして、
その場限りの会話をしてるだけだから、当然その日も部屋の契約も全部断って、
「なんかせっかく案内してもらったのにすいませんね」
とか言いながら早々に帰ったんだ。
だからその女の人ともこの場限りだろうなと思っていたし、
実際メアドの交換をしたこともしばらく忘れてたんだよ。
・・・そのメールが届くまでは・・・。
なんか長くなっちまうな。文章力ナサス
もういいや。メモ帳にでも書いてもう寝よう
その人から最初に届いた携帯メールの内容は要約すると、
「部屋はもう見つかりました?」っていう営業的な内容と、
それから「この前の録音の話、よかったらまたお願いします」というものだった。
というか全部が営業トークだったのかも知れないが。
基本的に人とのやり取りが嫌いな俺は無視しようとも思ったんだけど、
この前の「ピンと来た感じ」を思い出してしまったんで、
フリーでダウンロードできる音楽編集ソフトのURLとか、
あとはオーディオインターフェイスが必要ですねとか、
事務的な調子で返信したんだよ。あと、引越しの話はなくなりました、とも。
完全に営業目的のメールだったら返信も来ないかなと思ったんだけど
すぐに返事が来て、しかもこう、うまく書き表せないんだけど、
彼女のメールってすごく返信のしやすい文章だったのね。
それで結構会話が弾んで、あれよあれよという間に、
二人でスタジオに入って実際にやって見せることになってしまった。
具体的に日時を決めて、彼女からの「うん、じゃまた今度ね!」ていう
最後のメールを閉じた時、携帯をもつ手がすごい震えてた。
「俺こんなことしちゃっていいのかよ」ってw
普段の俺だったら、あるいはこれがメールじゃなくて電話だったりしたら、
こんな話にはならなかっただろうと思う。でも文章だけのやり取りだと
なんか気が大きくなって、何でもできるような気がして、OKしちゃったんだよな。
次の水曜日の昼ごろ、俺は西武池袋線に乗って待ち合わせのS駅に向かった。
パソコンに周辺機器にマルチエフェクタにテレキャスと結構な大荷物を抱えて。
正直、ガッチガチに緊張してた。
スタジオなんて初だし、なにしろ半年以上、教授と母親とコンビニの店員と
不動産屋の営業としか喋ってなかったからなw
けど、s駅の改札を出て彼女を見つけたとき、その緊張も吹っ飛んだ。
勤務中の彼女はパンツスーツで髪もポニーテールみたくしていたんだけど、
その日はそれも下ろしていて、流行の服装とはちょっとずれた感じだったけど
古着風のクシャッとしたスカートとかはいてて、すごく女の子らしく見えた。
あ、ちなみに「緊張が吹っ飛んだ」ってのは嘘だったかも。
彼女の最初の台詞が「おはよう。ねえ、なんか緊張してる?」だったからねw
その後すぐに貸しスタジオに向かった。俺は勝手がわからないから
スタジオに入るまで彼女の後に隠れるようにコソコソしてたよ。
でも二人になると不思議と落ち着いて、俺はソフトの使い方なんかを解説し始めた。
そうこうしてるうちに30分くらい経っちゃって、個人練習で一時間しか
予約してなかったもんだから、早いとこ試しに何か録ってみようと。
でも初めてでお互いの曲をやるなんていうのは無理な話だったんで、
なぜか「翼をください」をワンコーラスだけやることになった。
俺がテレキャスで簡単にバッキングして、彼女が歌う。
それだけだったけど、演奏が始まった瞬間、なんだか鳥肌が立った。
張りのある彼女のアルトの歌声に比べると、自分のギターが
とんでもなく下らないもののように思えてならなかった。多分実際下らなかったし。
それでも彼女のほうも何かしらの感慨はあったようで、
演奏が終わると二人で顔を見合わせて、ふたり同時に「ふう」って息を吐いて
それが面白くてまた同時に笑った。
前に感じた「ピン」が「恋」に変わったとしたら、たぶんこの瞬間だったと思う。
そんでスタジオを出て、二人とも昼食がまだだったから
軽く何か食べようということになった。
「どうしよっか。ドトールあるけどそこでいい?」と彼女に言われて、
俺が、「ドトールもスタバも入ったことがないからなんか怖い」って答えると、
彼女はびっくりして、「ちょっと普段どういう生活してるのよ?」って訊いてきた。
ドトールに入って席についてサンドイッチみたいなものを食べながら、
俺は自分の生活について彼女に聞かせてやった。そしたら彼女は
「それはだめ。絶対人間が暗くなるよ」って説教し始めた。
「大体ね、前に会ったときは君はお客さんだったし、
今日も教えてもらってる恩があるから黙ってたけど、君って暗いよ!
服もぱっとしないし、まずその髪型がオタクっぽいし」って結構ひどい事いわれたな。
しかもその流れで、唐突に彼女が「そうだ、これから髪切りに行こう」とか言い出した。
まあ当時の俺は確かに目が隠れるくらい前髪の伸びたキモイ髪型をしていたし、
強引な彼女に押し切られるのもなんか気分が良いなとか思って、
ドトールを出てすぐに駅前の美容室に入った。
ただ引きこもりってみんなそうだと思うんだけど、美容室苦手なんだよな。
どんな髪型にしますかって言われても何のビジョンもないから答えられないし。
でもこの日は俺がシートに座ると彼女が後ろの待合スペースから
よく通るアルトの声で「○○みたいにしてください!」って叫んだおかげで、
少々恥ずかしい思いはしたものの困ることはなかった。
それを聞いて、担当してくれた美容師さんが「彼女さんの尻に敷かれてるんですね」
みたいな冗談を言ったとき、鏡の中で彼女と目が合って、
俺は照れ笑いをしたんだけど、彼女のほうはなんだか困ったようなはにかみ方をした。
彼女は俺の新しい髪形に満足したようで、
「よし、これなら並んで歩いても恥ずかしくない」って言ってくれた。
と言っても並んで歩けるのは美容室から駅までの間だけで、
俺は名残惜しかったんだけど、その日はそれで別れることになった。
別れ際に彼女が「今日はありがとう」って言うのを聞いてなんかすごい違和感を感じた。
より多くのものをもらったのは俺のほうだった気がしたからだ。
家に帰って、俺は今日の出来事は夢だったんじゃないかとか思いながら、
ぼんやりと彼女のことを思い浮かべていた。
これで終わりにしたくないという気持ちがもくもく湧いてくるんだけど、
でも引っ込み思案だから自分からメールとかできないんだよな。
それでモヤモヤしながら二、三日過ぎた日の夜、向こうからメールが来た。
「暗い生活してない? たぶんしているでしょう。
そんな君のために、これから毎日宿題を出します」とかなんとか。
それから一週間くらい、毎日彼女から「宿題」が届いた。
「朝起きて、夜寝ること!」
「入ったことのないお店に入ってみること!」
「高校のときの友達に連絡してみる!」
「学校で最低ひとりに話しかける!(先生はダメ)」
「明日は二人に話しかける!」
俺のこと考えてくれてるんだなあとか思いつつも、
高校時代から友人なんていなかったし大学でも誰にも話しかけられなかったが、
生活のリズムは直して、何もない日も外へ出て散歩するようにはなった。
そんな火曜日の夜、またメールが届く。
「明日は宿題はなしだけど、かわりに実習があります」
そこには俺をスターバックスに連れて行くと書いてあった。
俺はもちろんすぐにOKした。次の日が楽しみでその夜は眠れなかった。
翌日の夕方、こんどは池袋で待ち合わせだった。
改札を出ると彼女はもうそこにいて俺に手を振っていた。
俺はもう彼女に会えることがうれしくて、多分満面の笑みで駆け寄ったと思う。
・・・けど、そのときの彼女の笑顔は少々深刻そうだった。
異変に気づきながら、俺は彼女についてスタバに入った。
初めてのスタバにも緊張しなかったのは、「宿題」のおかげだったかもしれない。
しかし彼女はというと、やはり表情は優れず、
席について何か話し出そうとするとさらに落ち込んだような顔になった。
彼女はこれからすぐに実家のある長野に帰るということだった。
いとこだか甥だか危篤状態で、女手が要るという話だった。
もっともそれはきっかけに過ぎず、
近いうちに不動産会社を辞めて地元に戻るつもりだったらしいけど。
それを話したきり彼女も俺も無口になってしまった。
それで無口のまま彼女を山手線の改札まで送ったんだけど、
どうしてもそこで別れるのが名残惜しくて、なかなかさよならが言えないのな。
彼女も俺のそんな気持ちを察したのか、あるいは同じように感じてくれていたのか、
柱の影で黙ったままぼんやりと並んで立っていた。
でも当然彼女の新幹線の時間があるんで、別れの時間はやってくるんだよね。
「それじゃ・・・」って言って彼女が改札に向かって歩き出した。
改札を抜ける彼女に俺は「じゃあね」って手を振ったけど、
「じゃあね」じゃなくて何か言わなきゃっ、て焦って、
でも「好きです」とかは言ってはいけないような気がして、
気づいたら改札の近くまで追いかけて言って変なこと口走ってた。
「俺、髪型だけじゃなくて・・・ちゃんと・・・」
でも言葉になったのはそこまでで、俺がうつむいていると
改札の向こうから手が伸びてきて、俺の手を握った。
彼女の最後の言葉はさよならでもありがとうでもなく、
「がんばって、君ならできるよ」だった。
彼女の迷惑になると思ってメールも送らないままだったし、
彼女からの連絡もなかったが、
その代わり俺は以前届いた「宿題」を読み返しては、
できるだけこなせるように努力した。
「消しゴムを貸してくれ」というような些細なきっかけから
友人ができてしまうことに、当時の俺は本当にびっくりしたりした。
そして人間関係というのは一つの小さな取っ掛かりができると
次の足場が見えてきて、そうやって広がっていくものなんだとだんだんわかってきた。
そんな折、途轍もなくがっかりする出来事が起きた。
自分が暗い部屋から足を踏み出し始めているのを彼女に知らせたくて、
久しぶりに送ったメールが、届かないで戻ってきてしまった。
俺が知ってる彼女の情報はメアドだけだったから、
これで彼女との繋がりが完全に切れたわけだ。
がっかりっていうか俺はしばらく虚脱状態になって、何時間もぼんやりしてた。
でもふっと思いついて、「宿題」に夢中で
しばらく触ってなかったノートPCを引っ張り出した。
そうですよ。もう一つ彼女の思い出が残ってたよ。
俺がテレキャスでコードを弾いて、彼女が歌う、「翼をください」。
何でだろうな、合唱コンクールで歌うような歌なのに、聞いてるとぼろぼろ涙が出た。
何度も何度も再生して、馬鹿みたいに何度も泣いた。
俺は今でもこの曲を聴くたびに思うんだ。
彼女が俺に、翼をくれたんだなって・・・。