天安門事件の翌日(1989年6月5日)、天安門前の10車線道路(長安街)で、彼は事件を鎮圧するために現れた59式戦車の車列の前に立ち、行く手を遮った。
戦車は何度も彼を回避するために横に迂回しようとするが、その都度彼は戦車の前に立ちふさがり侵入を防いだ。
しばらくそれを繰り返した後、彼が戦車に飛び乗って中の兵士となんらかの口論をしていた様子が、CNNやBBCのクルーによって撮影され、世界中に配信され一躍その姿を知らしめることになった。
1998年4月の『タイム』誌はこの人物を「20世紀最も影響力のあった人物100人」に選び、2003年に『ライフ』誌はスチュアートの写真を「世界を変えた写真100」に選んでいる。
当時の学生指導者ウーアルカイシや中国の知識人にさえ、彼のことを知る者が存在しないことから、その場にたまたま居合わせた普通の若者の1人ではないかと言われている。
彼のその後については、「すぐに処刑された」「刑務所の中で精神に異常を来した」「出所して台湾で暮らしている」などの説もある。
1990年の記者会見で、アメリカ合衆国のジャーナリスト、バーバラ・ウォルターズから「中国の自由の象徴というべき、あの男はどうなったのか?」という質問に対し、中国共産党中央委員会総書記江沢民は「死んではいないと思うが…」と言葉を濁しただけに留まった。
香港紙の蘋果日報は2017年7月21日までに、男性の名前が「張為民」であるとする、友人の証言を報じた。
2017年に、香港紙の『蘋果日報』がこの人物の知人とされる人物の証言から、この人物は事件当時24歳で、事件後に無期懲役判決を受け、減刑され仮釈放された後に再び収監され、近く天津の刑務所から出所すると報じた。
事件から30年を前にした2019年6月、中国外交部の記者会見にて、この人物の消息について問われた耿爽報道官は少し笑みを浮かべながら「把握していない」「言えることは、あの政治騒動について中華人民共和国政府はすでに明確な結論を出したということだけだ」と答えた。