家族の泣ける話 父親の話

リンゴ

私は2歳のとき父を亡くし、以来、私をひとりで育ててくれた母も私が中学二年生の時、突然の心臓病でなくなりました。
その日のことです。

近所のスーパーに勤めていた母ですが、学校から帰ると勤めを早退した母は床に臥していました。
「お母さん、どうしたの?」と聞くと「心配しないでもいいよ、ちょっと風邪をこじらせただけだから」とか細い声で答えました。


昨日からなにも食べてない様子だったので「なにか買ってこようか」と聞くと「おまえも今、期末試験中で大変なのに、いいの?」「もしよかったらリンゴが食べたい」「じゃあ、すぐ買ってくる」

リンゴを買って家に着いたとき、母はもう死んでいました。
枕元に、ほんのわずかな時間に、苦しみながら書いた母の言葉の走り書きがありました。

「哲、ひとりになってもお母さんお父さんはいつもおまえを守っているよ。ありがとう」とありました。

私は、それ以来リンゴを見ることもむろん食べることもできなくなりました。
あれから九度目の桜を見る季節がもうすぐやってきます。
私にとっての桜の季節は、ただリンゴをにぎりしめながら泣きつづけた日々の思い出なのです。

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