日本初のオリンピック出場マラソン選手の金栗四三。
国内で世界記録を20分以上も
塗り替えるような記録を出しながらも
本大会では日射病で倒れ、
行方不明扱いにされてしまった。
日本の期待を一心に背負いながら、
それでも走りきれなかったことで、
深い自責の念に駆られた。
それでも日本のマラソンの
発展のために50年間尽くしてきた。
1967年、
ストックホルムオリンピック委員会から
「オリンピック55年祭」が開催されるので
来てもらえないかという連絡が届いた。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗。
そして55年前にたどり着けなかった
スタジアムに足を踏み入れた。
何故かそこには観衆と役員、
そしてゴールテープ。
思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。
『日本の金栗がただ今ゴール。
タイムは55年…。
ただいまをもちまして
これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』
そうアナウンスが流れた時、
涙が止まらなかった。