家族の泣ける話

【家族の感動する話】大学に行かせてくれた兄貴

丁度、今お通夜の最中です。兄貴が死にました。4つ年上の兄貴は40歳の若さで、この世を去りました。胃がんでした。

私の家は、母子家庭でした。だから、初めて野球を教えてくれたのは、親父でなく兄貴でした。新聞配達をして貯めたお金で、私が小学4年のときグローブを買ってくれました。

SSKの安いトンボ目のグローブでした。

中学生のくせに、小学生相手に「剛速球」を投げ、取れないと怒鳴る奴でした。

「カーブ!」と一声。私に投げられたボールは、手前で私の視界から消えました。

私の中では、江夏、堀内を凌ぐピッチャーでした。近くの公園で日が暮れるまで、キャッチボールをしました。

「まこ、兄ちゃんが、お前の親父代わりだから、兄ちゃんがお前を大学に行かせてやる!」

少しばかり成績の良かった私に、高校を卒業した兄はそう言いました。貧しかった我が家の家計を考えてのことだったと思います。

おかげで私は大学を出させてもらいました。

本当に感謝するべきことなのです。

しかし大学卒業後に家を出た私は、兄の恩を忘れていたのでしょうか。

私は上場会社で課長になり、兄貴は自営業とはいえ、従業員は兄の妻を含め3名の零細企業です。

いつのまにか、兄を見下していた気がします。

何様なんだよ、お前は・・・・・ただ自分を自分で罵ることしか出来ません。

「カーブ!」
にいちゃん、にいちゃん、もう1度でいいから、カーブを投げて欲しいです。

私は、あなたの弟に生まれて本当に良かった。

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