◆1998年夏、運命の一瞬が訪れた
第80回全国高校野球選手権大会。
1回戦、豊田大谷 vs 宇部商業。
延長15回、スコアは2対2。
宇部商業のエース、藤田修平(3年)は、ここまで211球を一人で投げ続けていた。
15回裏、無死満塁――運命の場面。
7番・持田泰樹の打席、カウントは1ボール2ストライク。
キャッチャーの複雑なサインに一瞬迷った藤田は、投球動作に入った腕を、無意識に戻してしまう。
「ボーク!」
球審・林清一の右手が上がった瞬間、三塁ランナーが生還。
**甲子園史上初、そして唯一の「サヨナラボーク」**で試合は幕を閉じた。
◆マウンドに崩れた藤田、そして球場に広がったざわめき
崩れ落ちた藤田。
顔を上げることもできず、涙を隠すように帽子を目深にかぶる。
スタンドも騒然。
テレビの前のファンも、突然の結末に言葉を失った。
そして試合後、予期せぬ「第2の波」が押し寄せる。
◆球審・林氏への誹謗中傷
一部の高校野球ファンから、球審・林氏に対して誹謗中傷の電話や手紙が殺到。
「なぜあの場面でボークを取ったのか」
「空気を読め」
「高校生の夢を壊した」――そんな心ない言葉が投げつけられた。
しかし、林氏の判定はルールに従った正当なものだった。
このとき、誰よりも早く、そして力強く林氏をかばったのは――他ならぬ藤田修平だった。
◆「悪いのは審判じゃない。ボークをした自分だ」――藤田の言葉
試合後、報道陣に囲まれた藤田は、はっきりと言った。
「あれは自分が悪いんです。審判は正しい判定をしただけ。
だから、審判を責めないでください。」
18歳の高校生が、自分の敗因を受け止めて、審判をかばった。
その姿は、勝敗を超えた真のスポーツマンとして、多くの人々の胸を打った。
◆15年後、運命の再会
2013年。
社会人となった藤田修平のもとに、ある知らせが届く。
「あの試合の球審・林清一さんが、あなたに会いたがっています。」
藤田は迷いながらも、その申し出を受けた。
再会の場で、林氏はこう語った。
「あの時は、申し訳なかった。正しい判定ではあったけれど、
君の涙を見て、今でも胸が痛い。」
藤田もまた、目を潤ませながらこう答えた。
「僕はもう、あれは乗り越えました。
あの一球が、僕の人生の支えになったんです。
審判がいて、野球が成り立つ。あの判定があったからこそ、自分は今がある。」
二人は静かに握手を交わし、15年ぶりの“試合後の答え合わせ”は、感謝と敬意の中で幕を閉じた。
◆あとがき:あの日の一球がくれたもの
甲子園の歴史に刻まれた、唯一のサヨナラボーク。
それは、一人のエースの涙で終わった“悲劇”として語られることが多い。
だが、その裏には、
- 211球を投げ抜いた覚悟
- 審判を責めなかった勇気
- 15年後の再会で交わされた敬意
があった。
勝っても泣き、負けても誇れる――
それが、高校野球の本当の美しさではないだろうか。