人は彼のことを「神童」とも「天才」とも「未来を嘱望された若手数学者」とも形容する。
ただ一環しているのは、彼の頭脳力と、それに劣らない人格に対する尊敬と敬愛だろう。
2013年10月にがんのため31歳の若さで亡くなった天才数学者、長尾健太郎。
ネット上には彼に関するいくつかの伝説が残されている。
開成高校史上最高の天才と言われた長尾健太郎は、開成高校から東大理学部、京大大学院と進学し、名古屋大学の教員になった。
国際数学オリンピックで3年連続金メダル取得し、日本数学界の期待の星だった。
数学だけでなく、囲碁でも活躍し、国際大会の日本代表として活躍した。
将来が保証されていたかのような彼だったが、彼は常に病魔と戦い続けていた。
病名は聞き慣れない「胞巣状軟部肉腫」。
筋肉にできる珍しい癌で、1000万人に1.5~3人の確率でしか発症しない難病だった。
15歳のときに発病、25歳を過ぎてから彼の病気は肺に転移するなど進行が早まった。
イギリス滞在中に病状は悪化、有効と思われる治療法はなんでも試し、数えきれないくらい手術もしたものの病状は悪くなるばかり。
それでも彼は弱音を吐かず、子供の成長を生きる希望にしていた。
彼の死後、彼の偉業をたたえて、全国の小中学生が算数や数学の思考力を競う「算数オリンピック」に長尾賞が新設された。