インドネシアを350年間の植民地支配から解放した日本兵



1602年、オランダはジャワ島に東インド会社を設立し、植民地経営を始めました。首都のジャヤカルタはバタヴィアに改称され、以降350年間に渡って、オランダは東ティモール以外の領土を支配します。

第一次大戦後、1930年前後からインドネシアにも独立を希求する民族運動が発生しましたが、オランダはこれを厳しく弾圧しました。

オランダは、徹底的した愚民政策で狡猾にインドネシア全土を支配しました。

100以上ある部族を互いに敵対させておくようにし向け、一部のオランダ人に従順な部族を警官として雇い、経済は華僑を利用し、現地人の反感がオランダ人に直接向かわないようにしたのです。

統一言語ができると抵抗運動がおきるので、部族間の言葉はバラバラのままにさせ、道ばたで3人以上のインドネシア人が話していると処罰するほど徹底した支配でした。

大東亜戦争が勃発、世界情勢は風雲急を告げます。

蘭印にも日本軍がやってくるらしいという噂が流れ始めたある日、インドネシア人が爆音に空を見上げると、空にいくつもの白い花が咲き、戦士達が降下してきました。我らが空の神兵、日本軍の落下傘兵です。

これこそ、予言に謳われた黄色い人々ではないか! インドネシア人は驚き歓迎しました。彼らの協力も得て、落下傘部隊、銀輪部隊はすさまじい勢いでインドネシアを進撃し、オランダ軍はわずか9日間で完敗することになります。

インドネシアには、古くから伝わる『ジョヨボヨ王の予言』という伝承がありました。

「我らが王国は、白い人びとに支配される。彼らは離れたところから攻撃する魔法の杖を持っている。
この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人びとがやってきて白い人を駆逐する。
この黄色い人びとも我らが王国を支配するが、それはトウモロコシの寿命と同じくらいの期間だ。」

自分たちが350年間抵抗し続け、そのたびに全滅させられてきたオランダを、9日間で駆逐してしまった黄色い人びと。

これはまさに予言の実現であることを知ると共に、インドネシア人は、白人が決して全能の神ではなく、アジア人が彼らの奴隷ではないことに気付き始めたのです。

日本は将来のインドネシア独立を見越して、インドネシア人の若者からなる祖国独立義勇軍(PETA)を組織し、日本軍式の軍事教練を施しました。このPETAが、独立戦争の中心戦力となり、後のインドネシア国軍の母体となったのです。

今でもPETA出身の軍高官は「日本精神のおかげでオランダに立ち向かうことができた」と語っています。

日本は、1945年の9月にインドネシアの独立承認を約束していました。

ところが8月15日、日本は敗戦を迎えます。日本の軍政は3年半。

これは奇しくもトウモロコシが育つまでの期間と同じでした。

インドネシア人達は、これで独立かと喜びましたが、再びインドネシアを植民地支配するために、イギリス軍とオランダ軍が戻ってきました。

ポツダム宣言受諾以降、連合軍が来るまでの現地の治安維持と武器の管理を命じられていましたが、秘密裏に武器を流すなどして、自らが育てた義勇軍を支援します。

さらには、2000人以上の日本軍将兵が、現地に残ってPETAと運命を共にし、4年にも及ぶ独立戦争を戦い抜いたのです。

歴戦の日本軍将兵は、インドネシア人を指揮して常に最前線で戦ったので、死亡率も非常に高かったと言います。

3年半しか統治できなかったインドネシアには、日本が建設した建物は何も残っていません。独立戦争に身を投じた日本人将兵たちも、多くは帰らぬ人となりました。しかし、日本への敬愛の情と、国家の誇りと独立にかける情熱は残りました。

戦後の日本人が忘れてしまった物語が、インドネシアには建国の神話として残っています。戦前の日本人が持っていた理想が結晶した国、それがインドネシアなのです。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする