テレビが生んだ伝説的な受験生



1999年3月7日、28歳の一人の青年が雫石スキー場でコース脇の立ち木に激突して死去。

その死はスポーツ報知や日本テレビのワイドショーなどで伝えられた。

彼の名は、広瀬伸哉(ひろせしんや)。

高知県出身の一般人である彼の名前を知る人は少ないが、受験戦争を経験した人たちの中では伝説的な人物である。

1990年、日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「勉強して東大に入ろうね会」という企画へ大学浪人一浪をした時に参加。

第一期「勉強して東大に入ろうね会」の中で、最終的に残った参加者6人で合格発表を見に行き、4人合格、広瀬を含む2人が不合格。

二浪を選択し、第二期「勉強して東大に入ろうね会」で再チャレンジするも、最終的に残った5人の内、広瀬だけ不合格。

その後、滑り止めとして受験し合格した慶應義塾大学経済学部に入学した。

その後も『元気が出るテレビ』では1996年に番組が終了する際には、番組が生んだ人気キャラクターの1人として顔を出し、近況を視聴者に報告した。

大学卒業後、東京都で広告代理店を起業したが、東大を諦め切れず社会人となりながらも、東大受験をし続けた。

彼の映像は、今でもYouTubeで見ることができるが、その中で「これから先、50年、60年生き続けるんだから、1年くらい遠回りしたって・・・」と語っていた。

まさか、わずか8年後に命を落とすとは思ってもいなかっただろう。

彼のチャレンジ精神は、生前の彼を知らない受験生の間でも語り継がれている。

1991年3月17日放送の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で、2浪目の東大合格発表で不合格を知った広瀬が大泣きし、慰めた高田純次が広瀬の涙にもらい泣きをした。高田純次がテレビで泣いたのは、これが最初で最後という。



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