書けなかった婚姻届



彼女とはバイト先で知り合った。

彼女の方が年上で、入った時から気にはなっていた。

「付き合ってる人は居ないの?」

「居ないよ…彼氏は欲しいんだけど」

「じゃあ俺と付き合おっか」

付き合う切っ掛けは冗談みたいだった。

付き合ってから、実は好きだったと聞いた。

二人で居るときは性交渉を迫ったりした。

しかしいつも、

「ごめん…それだけはダメなの…」

と言って断られた。

腹いせと言うのも変だが、俺は浮気した。

俺は我慢できるほど大人ではなかった。

浮気がバレた時、彼女は怒らなかった。

寧ろ、

『私が悪いんだからしょうがないよ…』

という感じだった。

俺は友達に、

「浮気もOKとか年上最高」

などと言っていた。

ある日、彼女から手紙が来た。

『好きな人が出来たから別れたいの…』

こんなもんか、という感じだった。

俺達は別れた。

暫くして、彼女の妹で俺と同級生の子に呼び出された。

「お姉ちゃんには黙っとけって言われてるんだけど…」

そこで聞かされた。

昔、乳癌にかかって乳房を片方切除したということ。

それが原因で全てを見せたがらなかったこと。

癌が再発し、今は入院していること。

好きな人が出来たというのは嘘で、俺をまだ好きだということ。

俺と付き合っている時は幸せそうだったということ。

涙が出て来た。自分のしたことを後悔した。

入院している病院を聞いて向かった。

病室に入ると、彼女は驚いた表情を見せた。

まるで違う人のように痩せていた。

「ごめん。俺が悪かった…。もう一回、やり直そう。言ってくれれば良かったのに…。そんなこと気にする訳ないじゃん」

「ごめん…嫌われたくなかったの………。私なんか忘れて他の人を探してよ」

「お前よりいい女なんかいない…。お前じゃないとダメなんだよ!」

彼女の眼から涙が溢れた。

「ありがとう……」

俺達はよりを戻した。

それから俺は病室に通い詰めた。

暫くして俺は、婚姻届を彼女に見せた。

「俺の分は書いてあるから、元気な時に書いて結婚しよう」

彼女は今まで見せたことのないような笑顔を見せた。

「嬉しい…けど…これは書けない。ありがとう…こんな幸せなの初めてかもしれない」

「絶対書けよ!ここ置いとくから!」

その半月後、彼女は亡くなった。

葬式には出なかった。

彼女の死を受け入れたくなかった。

無気力な状態が続いていたある日、彼女の妹から手紙が届いた。

中には婚姻届と、彼女からの手紙が入っていた。

その手紙は、彼女が亡くなる前に書いたものだった。

『この手紙を読んでいる頃、私はこの世に居ないと思う。

あなたと一緒に居られて幸せだった。本当に幸せだった。

あなたのことを全部知りたかったし、私の全部を知って欲しかった。

けど結局、最後まで見せられなかったね。それだけが心残りだよ。

婚姻届…本当に嬉しかった…。

でも、これは違う人に書いてもらって…。

お墓参りには来ないで!あなたが本当に好きな人が出来たら来て。

それが私を忘れた証拠になるし、私の最後のお願い…。

今まで本当にありがとう。

あなたに出会えたことが人生で一番の幸せでした。

大好きだよ』

あれから10年経つが、まだ墓参りには行けていません。