1982年1月13日16時1分(東部標準時)ごろ、ワシントン国際空港を激しい吹雪のなか離陸したエア・フロリダ90便が、離陸直後に氷結したポトマック川に架かる橋梁に激突・墜落した。
水没を免れた尾翼部分にしがみついた生存者の救助を多くの人々が見守る映像は日本でも報道された。
事故による機体の損傷があまりにもひどかったため、生存者はいないと思われていたが、割れた氷に6人の生存者がしがみ付いていた。
しかし現場は同時刻に偶然発生した交通事故により、緊急車両が近づけないほどの交通渋滞が発生していたため、レスキュー隊の到着が遅れていた。
救助ヘリは最初に男性の乗客に命綱を渡したが、彼は残骸に引っかかっていたこともあり、勇敢にも2度にわたって自分の近くにいた女性に譲った。
2度目の救助の際、衰弱し力を失った女性が命綱から手を離してしまい、氷の上に取り残されたが、見守っていた群衆の中から2名の男性が飛び込んで支え、無事救助された。
結果的に生存者の救助を映した映像が生前最期の映像となった。
この男性は後に引き上げられ、本件事故での唯一の水死者(他の犠牲者は衝撃での死亡)となった。
命綱を譲った男性は46歳の銀行監査官アーランド・ウィリアムス (Arland D. Williams Jr.) であった。
アーランドにはアメリカ政府から救助ヘリの乗員2人とともに自由勲章が授与された。
他にもアーランドを祈念して命名された施設がいくつかあり、アーランドの郷里のイリノイ州には2003年にアーランドの名が付いた小学校が新設されたという。